競泳 松田丈志選手は、過去にアテネ、北京、ロンドンオリンピックへ出場し、2016年はリオオリンピックに臨みます。
北京では200mバタフライで銅メダル、ロンドンでは200mバタフライ銅、400mメドレーリレーでは銀メダルを獲得しています。
オリンピック出場は最後といわれるリオでは、800mフリーリレーへ出場。
どんな活躍を見せてくれるか、とても楽しみです。
ここでは、松田丈志選手のプロフィールと経歴、共に競技人生を歩んできた久世由美子コーチとの絆について、お伝えしていきます。
松田丈志選手プロフィールと経歴
プロフィール
氏名…松田丈志(まつだたけし)
生年月日…1984年6月23日
出身地…宮崎県延岡市
所属…セガサミーホールディングス
身長…184cm
血液型…O型
泳法…自由形、バタフライ
経歴
水泳を始めた年齢と環境
4歳の時に地元のスイミングクラブ(東海スイミングクラブ)に通いはじめました。
そこで、後に長きにわたり苦楽を共にする久世由美子コーチと出会います。
松田丈志少年に秘められた力に気付いた久世コーチとの出会いが、現在の松田選手のもとになっているのは間違いありません。
スイミングクラブのプールは、地元の方々が「一年中泳げるように」と手作りしたビニールハウスでした。
決して恵まれた環境だったとは言えませんが、地元の皆さんのあたたかい気持ちは、環境にも勝るものだったのでしょうね。
ビニールハウスプール、テレビで見ましたが見事なものでしたよ。
材料費だけでも相当な金額もかかったと思われますし、かかった人でも大変なものだったでしょう。
そんなあたたかい人たちに囲まれて、松田選手は日々の練習に励み、実力を発揮しはじめます。
そこからオリンピックへ出場するまでになったことから『ビニールハウス生まれのヒーロー』といわれるようになりました。
なんと高校卒業まで、ビニールハウスでのプールで練習に励んでいたんですよ。
本当に、地元愛の強い選手だなと思います。
2003年には中京大学へ
久世コーチとともに上京し、二人での生活がはじまります。
久世コーチから学べる大学、ということを条件に大学を選んだあたり、まさに一心同体!
久世コーチは「強い学校に行って欲しい」という希望があったようですが、松田選手が久世コーチとの別れをヨシとしなかったようです。
いかに強い絆で結ばれているかが分かりますよね。
整った環境で更に実力を伸ばし、2004年アテネオリンピック出場、世界選手権出場と、様々な大会で好成績を残しました。
大学卒業後、社会人として
大学卒業後は、ミズノ→レオパレス21と契約し、レオパレス21の後はしばらく所属先探しに奔走します。
最終的にコスモス薬品との所属契約が結ばれましたが、所属先探しのために久世コーチは600以上の企業へ手紙を書いたそうです。
コスモス薬品は、松田選手出身の延岡市創業の企業です。
2014年から現在はセガサミーホールディングスに所属しています。
自由形、バタフライで実力を発揮し続ける
200mバタフライでは日本記録、アジア記録を何度も更新し、北京オリンピックで銅メダル獲得。
宮崎県民栄誉賞と延岡市民栄誉賞を受賞しました。
ロンドンオリンピックでも北京から2大会連続200mバタフライで銅メダルを獲得し、400mメドレーリレーでは銀メダルを獲得しました。
その時の発言『(北島康介選手を)手ぶらで帰らせるわけにはいかない』は、流行語大賞にも選出されました。
そしてリオオリンピックでは、そのセリフをチームメイトから返されています。
リオの800mフリーリレーメンバーは、萩野選手、江原選手、小堀選手。
良いチームです!
久世由美子コーチ
松田選手の隣にはいつも久世コーチが!
松田選手が4歳で水泳を始めた頃から、コーチを務めている、本当に長い付き合いのコーチです。
お若いころは、旭化成所属の競泳選手として活躍していました。
1979年に東海スイミングクラブを設立。
クラブに松田丈志少年が通いはじめたのが出会いです。
二人は二人三脚は2016年現在まで28年に渡り続きます。
久世コーチの拘りは、心を磨くこと。
科学的な技術・指導もあるけれど、最終的にはハート!というのが久世コーチの持論です。
松田選手の向上心を育て、強い心を育て、親子のような関係を続けています。
松田選手は”自分には親が4人いる”と発言しています。
両親と、久世コーチ夫妻。
本当に強い関係ですね。
最後に
地元を愛し、地元の人々に愛される松田丈志選手。
久世コーチとの絆は本当に親子のようですね。
久世コーチに金メダルをかけてあげたいと言う松田選手の夢を、リオでぜひ実現させてほしいなと思います。